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京都地方裁判所 平成3年(ワ)944号 判決

主文

一  被告は、原告に対し、金二七九五万七五九八円及びこれに対する平成三年五月二二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを二分し、その一を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。

四  この判決は、原告勝訴部分に限り、仮に執行することができる。

理由

(以下、理由中において、書証の成立に対する判断は、特に争いのある書証を除き、原則として省略する。)

第一  事実経過

一  請求原因1及び2(一)の事実については、当事者間に争いがない。

二  本件手術の経過

《証拠略》によれば、次の事実が認められる。

1  被告は、昭和六一年七月に京都美容外科(以下「被告医院」という。)を開院した美容外科医である。

2  原告は、昭和六三年二月当時二三歳の女性であり、同月初めころ、「週刊テレビ京都」という雑誌に大きく掲載されていた被告医院の広告を見て被告の行っている二重瞼の手術に興味を持ち、同月八日、被告医院を訪れた。原告の見た右広告によると、被告の行っている二重瞼の手術は「家亦式スーパークイック法」あるいは「家亦式縫合埋没法」といわれるもので、手術に要する時間はわずか一〇分、手術後の通院は不要であり、化粧は翌日からOKというものであった。

3  家亦式スーパークイック法とは、二重瞼の手術(重瞼術)のうち、現在美容外科において一般に行われている縫合埋没法又は埋没固定法といわれる術式(皮膚に切開を加えず、縫合糸が皮膚面に現れないように瞼の二重とする予定線上の三か所を結紮し、二重瞼を作り出す方法)に工夫を加え、糸を瞼結膜と上瞼挙筋の間に浅く通して糸が上瞼挙筋に最も良く固定できるような方法で結紮することにより、瞼への負担を少なく、腫れも低く、もとに戻りにくいという長所のある術式である。そして、被告が週刊テレビ京都に掲載した広告によると、被告は右の術式を熟練した腕により約一〇分で三針縫うことができるとされている。

4  同年二月八日に原告は被告医院を訪れ、被告からカウンセリングを受けた。被告は原告に対し、瞼の裏を縫うだけでメスは入れないということ、片方で一〇分、両眼だったら二〇分で終わる手術で、翌日から化粧もできること、二重の手術は美容整形の中でも最も簡単で失敗もないし、もし、二重の形が気に入らなければ何度でもやり直す旨の説明を行った。そこで、原告は、被告による手術を受けることに決め、同月一五日午後二時に予約した。

5  同月一五日午後一時五〇分ころ、原告は、母とともに被告医院を訪れた。被告医院では、受付の女性から、歯科で抜歯や治療のため歯ぐきに注射をしたことがあるか否か、既往症の有無について質問された後、原告は手術承諾書に署名した。

6(一)  手術は同日午後二時二〇分ころから開始された。まず最初に看護婦が〇・一パーセント或いは〇・〇三パーセントのハイアミン溶液を綿球に染み込ませ、これにより原告の上眼瞼の周り及び顔面を消毒し、続いてアドナという止血剤を左腕に注射した。

(二)  次に被告は、原告を手術台に横に寝かせ、ピオクタン溶液により二重瞼予定線をデザインした。そして、原告の瞼を閉じさせた状態で、左右の眼それぞれにつき、原告の上眼瞼の上皮の中央、中央と目頭寄りとの中間、中央と目尻寄りとの中間の縫合予定箇所三箇所に、注射針を瞼に向かって水平の角度にして麻酔薬(〇・五パーセントのキシロカインE)を注射し、さらに原告の瞼を左指で裏返し、上瞼裏側の上瞼板の付け根部分に同様に三箇所の麻酔注射を行った。

右麻酔注射の際、原告は、注射針の先が右眼に落ちてきたような衝撃を受け、「ぎゃあ、痛い。」と大声を出したが、被告は原告に眼薬のようなものを差しただけで手術を継続した。

(三)  被告は、特殊なピンセットと針及び八-〇サイズの医療用ナイロン糸を用い、まず、結膜面を裏返し、瞼板に平行して瞼板と上眼瞼挙筋との境の瞼結膜を三ミリ程度掬い、次に同じ場所から針を通して上眼瞼の皮下へ出し、針を他端の糸に付け替えた上、同様に上眼瞼の皮下に出し、さらに上眼瞼の側でやはり三ミリ程の幅で上側を掬い、最終的に糸の両端を結ぶという方法で原告の左右の瞼のそれぞれ三か所を結紮し、縫合埋没法による手術を施した。

(四)  その後、被告は、原告に腫れ止めのためのフルメトロン及び感染予防のための抗生物質であるエコリシン点眼薬を点眼し、手術は終了した。

(五)  手術に要する時間は両眼で二〇分ということであったが、実際に手術が終了し、原告が待合室にいた母のもとに出てきた時間は、午後四時ころであった。

7  手術終了後、原告は、被告医院から瞼の上に塗る塗り薬(薬品名不明)及び三日分の内服薬(腫れ止め及び抗生物質。薬品名不明)を受け取り、母親とともに帰宅した。手術が終了した時点での原告の両眼は瞼が腫れ上がり自分で開けることができない状態であり、母親に手を引かれなければ歩けなかった。また、眼に保護のためのガーゼを当てることもなかった。

8  原告の瞼の腫れは翌日以降も引かず、痛みや熱っぽさも感じるようになった。原告の母親は同月一六日から毎日被告医院に電話し、「すごく腫れているが放っておいていいのか、一度行くから診てほしい。」などと相談したが、被告は、「原告は人の倍腫れる人だから。腫れは勝手に引きますから。来てもらっても注射も薬もないし、洗顔とかお風呂なども入ってもらって結構です。」などと言って診察を拒絶していた。

9  原告は、被告から与えられた内服薬を三日間服用し、被告から渡された塗り薬を綿棒で、縫合箇所に塗っていたが、瞼の腫れは次第にひどくなり、瞼が鶏卵大にまで腫れる状態になった。そこで、同月二五日原告は両親らとともに被告方医院を訪れたが、被告はその時手術中であったため、原告らに手術が終わるまで自宅で待機するよう伝えただけで診察はしなかった。

そこで、原告は、手遅れになることを恐れたため、被告に診察してもらうことをあきらめ、同日、被告方医院から富井眼科に行った。

10  富井医師の初診時には、前記のとおり原告の眼瞼は非常に腫れた状態であったため、富井は、消炎作用のある眼科用のリンデロンA軟膏を瞼に塗布するなどの措置をした。

11  同月二六日には原告の瞼の傷口から膿が出ていたため、富井は、ガーゼにリバノールを染み込ませたものを傷口に挿入して、膿の排出を促した。その際、富井は、リバノール液がその成分上角膜に触れてはならないものであるため、これを五倍に希釈した上、ガーゼを挿入する際にリバノール液が角膜に漏れないよう十分注意した。

12  同月二八日に富井が開瞼器で上瞼を持ち上げて眼球を観察したところ、右の角膜に反応輪のような混濁があり、左の角膜の中央部にびらんが生じていたため、富井はこれらが潰瘍の兆候であると考え、同日原告の眼が両カタル性角膜潰瘍であるとの診断をした。

13  同年三月二日、富井は、原告の瞼の縫合部分をピンセットで探り糸の摘出を試みたが、わずかに摘出したにとどまった。

その後、右眼は状態が悪化し、同年三月九日には角膜上皮の欠損だけでなく、実質(デスメ膜)まで侵蝕され、富井が府立医科大学の眼科に診察の依頼を出すほどまでになったが、その後は次第に角膜の上皮が張るようになり、平成二年一二月七日に症状固定するに至った。

14  症状固定時における原告の症状については、視力が、裸眼で右が〇・〇四、左が一・五であり、右眼は矯正して〇・二であった。原告の右眼には、角膜の実質中に混濁が残り、角膜及び瞳孔の形状が変形しているほか、廃用性の外下斜視が存在している。そのため、写真を撮ると、右眼の焦点が合わないように写る。

右眼では、周囲が白く、物が歪んだ状態に見えるため、原告は、日常生活において細かい仕事が出来ない状況である。

第二  原告の両眼瞼膿瘍、両カタル性角膜潰瘍の発生原因

一  各専門家の意見の分析

《証拠略》によると、以下の事実を認めることができる。

1(一)  原告の直接の治療にあたった富井宏医師は、両眼瞼膿瘍及び角膜潰瘍の原因は細菌性の膿瘍であると診断し、その理由として以下の点を挙げている。

(1) 縫合糸にナイロンを用いているので縫合糸によるアレルギーは考えられず、術後一一日を経過しても眼瞼の腫張がさらに増大傾向にあるということは、体質的なアレルギーによるものとは考えられないこと。

(2) 疼痛が激しく、多量の膿を排出していること。

(3) 抗生剤投与により化膿性炎症が消退したこと。

(二)  そして、同医師は、原告の角膜潰瘍の原因は、高度の腫張により酸素欠乏や機械的刺激の結果、角膜上皮障害を起こし、眼瞼の化膿性炎症の起炎菌やその代謝産物が角膜潰瘍を発症させたものと診断している。

2  また、京都府立医科大学眼科学教室の木下茂教授は、原告の両眼瞼膿瘍及び角膜潰瘍について、「術後一〇日以上持続する高度な炎症の原因としては、何らかの術後細菌感染症、術前消毒薬などに対する過敏反応などの可能性が考えられる。」とし、「二月二五日の眼瞼膿瘍の存在は時期的にみても二月一五日の手術と直接あるいは間接に因果関係をもつ可能性が高い。従って、膿瘍の中にある埋没糸が結膜粘膜から露出して角膜上皮障害を生じ、膿瘍内の細菌が角膜感染症を生じたとするのが最も妥当な考え方であり、現在の角膜混濁は、眼瞼膿瘍から角結膜組織への炎症の波及により生じたと考えるべきである。」との意見を述べている。

3  これに対し、昭和大学医学部眼科学の小出良平教授は原告に生じた角膜潰瘍について、概要、以下のとおり陳述し、角膜潰瘍の発生原因は富井医師の治療行為により発生した可能性がある旨述べており、被告もまた、同種の意見を述べている。

(一) 富井医師方における最初の診療録によると、原告の両眼瞼膿瘍の初診日は昭和六三年二月二五日となっているのに対し、角膜潰瘍の記述は同月二八日の記述がない。即ち、富井医師の初診時には眼瞼膿瘍だけであって角膜潰瘍は認めていなかった。

(二) 本件の眼瞼膿瘍及び角膜潰瘍が細菌感染によるものか否かは、細菌の培養検査をされていないので単なる想像に過ぎない。(富井医師の行った原告に対する措置のうち)細菌性であれ非細菌性であれ両眼瞼膿瘍に対する切開、排膿は当然の措置であるが、眼瞼の創に挿入したリバノールガーゼのタンポナーゼに疑問を感じる。リバノール液は、その使用上の注意として『目に入らないようご注意下さい。』とされており、角膜障害を惹起する可能性を示唆する。

(三) (富井医師は)眼瞼膿瘍の治療にリンデロン(副腎皮質ホルモン)内服及び軟膏を使用しているが、角膜潰瘍と診断してから後も同薬を使用している。しかし一般的に角膜潰瘍の治療には同薬を使用すべきものではない。却って同薬使用により角膜潰瘍を悪化せしめたと考えられる。

4  しかしながら、以下の点から、小出教授及び被告の意見は採用することができない。

(一) 富井医師による原告に対する角膜潰瘍の診断が遅れた理由は、原告の初診日である昭和六三年二月二五日には、原告の瞼の腫れがひどく、開瞼することができなかったため、眼球に関する所見が得られなかったが、三日後の同月二八日に開瞼することが出来たため、そこで初めて両カタル性角膜潰瘍と診断することができたためであること。

(二) 富井医師が原告に対して用いたリバノール(アクリノール)は皮膚用アクリノールを五倍に希釈して用い、上眼瞼の皮下に挿入したもので「目に入れる」という表現はあたらないこと。

(三) また、もしリバノールにより化学腐食が生じて現在のような角膜混濁が生じたと考えるのであれば、両眼の角膜上皮細胞が薬剤によって完全消失した場合の角膜腐食と同様な角膜所見、すなわち、両眼の角膜に全周から表層性血管侵入をともなった角膜混濁を認めるはずであるのに、右眼の平成六年四月二六日における所見(前記木下教授の診察日)では、右眼の角膜周辺部にわずかな血管侵入を認めるのみであって、左眼には全く血管侵入を認めていないこと。

(四) 富井医師はリンデロン(副腎皮質ホルモン)については、初診日の昭和六三年二月二五日に眼科用のリンデロンA軟膏を皮膚に塗布したのみで角膜に使用してはおらず、同月二七日以降はリンデロンの内服のみとしているところ、富井医師が原告を開瞼し、角膜潰瘍を診断したのは同月二八日であり、三日間の副腎皮質ホルモンの内服のみで潰瘍が発現した可能性はないこと。

5  以上検討してきたところによると、原告の角膜潰瘍の原因は、術前消毒薬などに対する過敏反応又は何らかの術後の細菌感染により原告の眼瞼に高度な化膿性炎症が生じ、高度の腫張による酸素欠乏、機械的刺激又は膿瘍の中にある埋没糸が結膜粘膜から露出したことにより角膜上皮障害を生じ、眼瞼の化膿性炎症の起炎菌やその代謝産物が角膜潰瘍を発症させたものと認めるのが相当である。

二  その余の原因の検討

1  注射針の落下について

原告は、本人尋問において、被告が原告に麻酔注射をする際、被告が注射針を原告の右眼に落とした供述をしており、手術開始直後に針が右眼に落ちたような激しい痛みがあったとの原告の供述は直ちに排斥することはできない。

しかしながら、前記第一において認定のとおり、原告は麻酔注射を受けていた当時、閉眼状態であって、直接針が落ちたものであるか否かを確認できない上、被告は、麻酔針を水平に注射することを日常行っており、しかも、注射器は針とシリンジ部分が一体となったものを使用していることからすると、注射針が落ちたとは考えにくく、原告が手術当時に感じた痛みがいかなる原因によるものか確定できないといわざるを得ない。

なお、前掲木下教授は、仮に注射針が角膜に接触したとしても、これが角膜混濁の主たる原因となりえる可能性は低いと述べている。

2  アレルギー反応について

原告の眼瞼膿瘍及び角膜潰瘍が縫合糸又は体質的なアレルギーによるものとは認められないことは、前記一に掲記した各専門家の一致した意見であり、原告のアレルギーを原因と認めることはできない。

第三  被告の責任

一  手術後の被告の診療及び治療行為の欠如

1  被告が、原告に対する手術の実施後、原告の母親からの度々にわたる要望にかかわらず、被告において何らの措置をとることもなかったことは前記第一において認定したとおりである。

2(一)  これに対し、被告は、本人尋問において、原告らは二月二二日に被告方医院を訪れ、その際原告の瞼が通常の被手術者に比べ腫れていることから、被告は原告に異物である糸を抜くことを勧めたが、原告はこれを拒否したものである旨供述し、被告の診療録も被告の右主張に沿ったものとなっている。

(二)  しかしながら、被告の診療録の二月二二日の「2/22腫れが大きいので糸とりましょう(いたいからいややという)(本人拒否)」との記載部分は、被告が本人尋問において、二月八日のカウセリングの際に記入したと供述している〈A〉(縫合埋没法の意味)及び「jj+Fj」(費用の意味)の記載並びに二月一五日の手術の前に記入したと供述している二重瞼の絵の中央部分の上に重ね書きされており、また、それとは別の記載である「2/22本人当院の治療を拒否。当院に一切来ないと言明。富井眼科にて行なうと言った。(富井で目に板を入れて検査したと聞く。)」との記入部分は、他の記載部分が診療録左側から開始されているのと異なり記入欄の右側に欄外にわたり記入されており、通常の記載順序に比べて極めて不自然である。

しかも、《証拠略》によると、原告が富井医師の診察を受けたのは二月二五日が初めてであって二月二二日には富井医師の診察を未だ受けていないことは明らかであり、被告の診療録の記載は、右の明白な事実と明らかに矛盾した内容となっている。

したがって、被告の診療録中に原告が被告の治療を拒否したことを裏付ける二月二二日欄の記載は事後において書き込まれたものであることは明らかであり、右記載及びこれに沿う被告の本人尋問における供述は採用できない。

二  被告における手術後の診療及び治療義務違反

1  美容整形外科一般に行われている術後措置

(一) 被告は、重瞼術施術後の措置として、「美容外科においては、遮眼するということは絶対にない。そういうことをすると二重(ふたえ)はできない。上眼瞼は血行のいい場所なので、自分のこれまでの二万例ほどの手術のうち、一例も細菌感染はない。従って、そういうことをする必要はないが、一応予防薬として抗生物質を三日間飲んでもらうようにしている。それから、患者にハイアミンの消毒液を渡して縫合した部分の三カ所に綿棒で付けるように指示している。また、手術の当日は洗顔と化粧は止めておくように指示し、翌日は眼の周り以外は化粧をしてもいいと伝えている。」と供述している。

(二) また、昭和大学講師武藤靖雄著「図説整容外科学」によると、縫合埋没法による重瞼術施術後の措置としては、「抗生物質軟膏を薄く皮膚面に塗っておく。両目同時に施術した場合はサングラスを着用させるだけでよい。別に抗生物質を二~三日経口投与させ、術後二~三日間、洗顔、入浴を禁止させる。抜糸は行わない。術後、眼脂を訴えれば点眼薬を投与する。」とのみ記載がされている。

(三) さらに、二重瞼の美容整形に関する各地の美容外科の宣伝・広告は、「手術当日より洗顔、メイク、コンタクトもOK」「術後に抜糸、通院の必要はありません。」「(マイクロカット法も埋没法も)ともに腫れもなく抜糸の必要もありませんので術後の通院も不要です。」「当日からメイクができるからメイクアップ二重術と呼ばれて注目を集めているのですよ。」「化粧や洗顔がすぐできる。」といった内容のものが数多くみられ、美容整形の世界では、重瞼術施術後の通院を不要としているのが通例と推測される。

2  眼科医のとる措置

(一) これに対し、富井医師は、「手術の直後は滅菌されたガーゼでもって遮眼し、絆創膏で固定して本人が勝手にそれを開けたりできないようにする。これは、縫合した糸の傷口を細菌感染から守るためである。自分の場合、五日間は、患者を毎日通院させ、術者の責任の下に消毒したガーゼで毎日交換をする。」と証言している。

(二) また、小出良平教授も、「眼科のほうの立場からいうと、翌日と、一週間後という位の少なくとも二回は診察している。これは、やはり術後に診なければ安心できないからである。また、手術の当日には、抗生物質と鎮痛剤の内服薬を三日分持って帰ってもらい、翌日、診察後、抗生物質の点眼薬(五cc。一週間から二週間分位)を渡す。片眼のみ施術したときには、当然、施術した眼に眼帯をし、両眼同時に施術したときには腫れが強いほう又は視力の悪い方に眼帯をして帰ってもらう。」と証言している。

3  被告が本件においてとるべき術後措置の検討

(一) 右1において認定した事実によると、本件において被告が原告に対して行った措置は、美容外科が一般に縫合埋没法による重瞼術の施術後にとっている措置とあまり異なるところがないことが認められるが、他方、右2において認定した事実によると、右のような美容外科一般の措置は、眼科医の立場からすると術後の細菌感染の予防という点で極めて不十分であり、眼科医の一般的な水準としては必要な事後措置を怠ったものといわざるを得ないことが認められる。

(二) 医師一般の義務として、身体に侵襲を加える手術行為を行うにあたっては、当該手術の要否及び適否を慎重に判断し、当該患者の体質、患部の状態等について十分な事前の検査を行い、医師としての高度の専門的見地から、当該手術の時期、方法、程度、範囲等を十分に検討して、手術を実施すべきであり、手術の施行後においても、細菌感染等に対する十分な予防措置を講ずるべき注意義務があることはいうまでもないところである。そして、右の義務はたとえ被告が美容外科医であり、手術の対象が健康人である場合であっても基本的に異なるところはない。

(三) そこで、本件において被告のとるべき具体的診療義務の内容について検討すると、被告としては、特に遮眼せず、抗生物質及び腫れ止めの内服薬を三日分供与し、手術をおこなった患部に塗布する塗り薬を与え、自宅に帰しており、右措置は、眼科的立場からは不十分とはいえ、美容外科一般の取り扱いに鑑みると直ちに術後措置における注意義務違反となるということはできない。

しかしながら、手術により侵襲を加えられた患部が、健康な状態と対比し、より細菌等による感染を受け易い状態であることは明らかであり、美容外科医として、右の状態を承知の上、遮眼等の措置を採っていない場合には、その予後には十二分な注意を払い、何らかの異常が生じた場合には直ちに来院させ、必要な措置をとるべき義務があるというべきである。

すなわち、《証拠略》によれば、原因が何であれ瞼が腫張し膿瘍の状況になった場合は、速やかに、抗生物質の投与等により消炎し、眼にとって異物であり核となる可能性のある糸を抜去することが原則であることが認められるところ、前記第一において認定したとおり、原告は、手術の直後から瞼の腫張が異常に酷い状態となっており、しかも、二、三日を経過してもこれが引かず、被告は、たびたび原告の母親からの電話による相談を受けていたのであるから、被告としては、右のような場合には、来院させて、抜糸をするなど必要な診療を行うべき注意義務があったというべきであり、被告はこれを怠ったものということができる。

三  被告における手術後の診療及び治療義務違反と原告の眼瞼膿瘍及び角膜潰瘍との相当因果関係

1  前記第一及び第二において検討したとおり、原告の眼瞼膿瘍及び角膜潰瘍は、術前消毒薬などに対する過敏反応又は何らかの術後の細菌感染が起因して発症したものと認められるのであるが、術後の細菌感染そのものについては、一〇〇パーセント被告がこれを防止することは現実には不可能と推測される。

2  しかしながら、証人富井は、原告が術後の細菌感染症にり患したおそれのある早期の段階で、直ちに適切な措置をとっていれば、原告の右眼が本件のような重篤な角膜潰瘍にまで至らなかったであろう旨証言しており、眼瞼膿瘍に対する対症療法が抗生物質の投与や排膿など比較的単純かつ明確なものであることを考え合わせると、もし、早期の段階で、抗生物質の投与、抜糸等の適切な措置が行われていれば、本件のような重篤な眼瞼膿瘍及び角膜潰瘍にまで至らなかったであろう高度な蓋然性があるものと認められる。

そして、前記二3において検討したとおり、被告は、原告の母親からの原告の異常に関する連絡及び診察の依頼を受けながらもこれを拒絶して全く診察を行なわず、異物であり核となる可能性のある糸を抜去する等適切な措置を施していないのであり、原告の受診の機会を遅らせ、被告は、結果的に原告の眼瞼膿瘍を悪化させて重篤な角膜潰瘍にまで至らせてしまったのであるから、被告の前記二における診療義務違反と原告の角膜潰瘍との間には相当因果関係があるものと認めるべきである。

第四  損害

次に、被告の債務不履行と相当因果関係のある原告の損害及び損害額について検討する。

一  原告は、被告に支払った本件手術の予約金および手術費用である金一八万二〇〇〇円の支払いを請求しているが、右金員は、被告の債務不履行によって生じた損害とは認められない。

二  治療費

《証拠略》によれば、原告は富井眼科に対する治療費として金一四万一五九〇円を要したことを認めることができる。

三  交通費

交通費については何ら立証がなされていないので、これを認めることはできない。

四  休業損害

1  《証拠略》によれば、原告は、昭和四〇年一月二五日生まれで同五八年三月に宇治高等学校を卒業し、同六一年三月から京都市伏見区にある乙山歯科医院で歯科助手のアルバイトとして勤め、一か月五ないし六万円の収入を得ていたが、本件手術後は、退職せざるを得なくなり、その後の平成元年五月には現在の夫である甲野太郎と結婚し専業主婦となったこと、右眼については、視力が落ちた他、遠近感が悪くなり、日常生活において、細かい仕事が出来なくなったということなどの事実が認められる。

2  右認定の事実によれば、原告の休業損害を算定するに当たっては、昭和六三年度の賃金センサス第一巻第一表産業計・企業規模計・学歴計・女子労働者(二〇~二四歳)の平均賃金年額である金二二四万三九〇〇円を基準とするのが相当であり、これより低額の原告の乙山歯科医院での実収入を基準とすべきではない。

《証拠略》によると、富井医師は、昭和六三年五月二五日、原告に対し、事務作業程度の就業はしても差し支えない旨指示したことが認められるので、被告の債務不履行と相当因果関係にある休業期間については、昭和六三年五月二五日までであったと認めるのが相当である。

そこで、前記センサスの額を基準として休業損害の額を計算すると、金六一万三〇八七円となる。

(計算式、二二四万三九〇〇円×一〇〇/三六六)

五  逸失利益

1  原告の症状固定後の視力は、一眼の視力が〇・〇六以下になったものといえるから、後遺障害別等級表第九級の二に該当するといえる。

次に右眼の症状については、後遺障害別等級表第一二級一号に該当することについての立証が不十分ではあるが、その内容に鑑みると、一眼に視野挟さくを残すものに準じて同表第一三級の二に該当すると解するのが相当である。したがって、本件における原告の後遺障害の等級としては、重い障害の九級より一級上位の併合八級に該当するということができる。

右等級表によれば労働能力喪失率が四五パーセントであることが明らかである。しかし、原告の後遺障害の部位、内容、程度と原告が従事する労働が家事労働であることからすれば、右喪失率をそのまま原告に適用するのは不相当であり、原告の年齢、職業、家族構成その他諸般の事情を考慮して労働能力喪失率を三五パーセントとするのが相当である。

2  原告は、就労可能となった昭和六三年五月二五日当時は、無職であり、その後平成元年五月六日に専業主婦となっているが、その逸失利益の算定にあたっては、昭和六三年度の賃金センサス第一巻第一表産業計・企業規模計・学歴計・女子労働者(二〇~二四歳)の平均賃金年額である金二二四万三九〇〇円を基準とするのが相当である。

3  また、就労可能年数については、《証拠略》によれば、視力については角膜移植をすることで回復する見込みはある(但し、角膜移植自体が直ちに出来る手術ではない)が、瞳孔の変形については手術によって回復することはほとんど不可能であるとのことなので、満二三歳から満六七歳までの四四年間とするのが相当である。

そして、中間利息の控除については、ホフマン係数を用いることとして、逸失利益を計算すると一八八〇万二九二一円となる。

(計算式、二二四万三九〇〇円×三五/一〇〇×二二・九二三)

六  慰謝料

1  《証拠略》によれば、原告が富井眼科に通院した日数は、一六五日であると認められる。

右通院期間及び諸般の事情を考慮すれば、原告の通院慰謝料は、金七〇万円と認めるのが相当である。

2  前記認定の原告の後遺症の程度、原告が本件受傷によって受けた精神的苦痛及びその他諸般の事情を考慮すれば、原告の後遺症慰謝料は、金六〇〇万円と認めるのが相当である。

七  したがって、弁護士費用を除く原告の損害額は、合計金二五四五万七五九八円となる。

八  本件訴訟の態様、難易度、認容損害額等諸般の事情を勘案すると、弁護士費用としては金二五〇万円の限度で認容するのが相当である。

九  そうすると、原告の損害賠償請求は、金二七九五万七五九八円の限度で認められる。

第五  結論

以上の事実によれば、本訴請求は、債務不履行に基づく損害賠償金二七九五万七五九八円及びこれに対する右損害賠償請求権が遅滞に陥る訴状送達の翌日である平成三年五月二二日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるからこれを認容し、その余の請求は理由がないから棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九二条本文を、仮執行の宣言について同法一九六条一項をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 鬼沢友直 裁判官 難波雄太郎 裁判官 本田敦子)

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